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2013年7月29日 (月)

目の前の真実に気付けるか

20081208_cimg1704

~今日のビジョン~

※全体を通して、同じ村の中の長屋が立ち並んでいる場所に居る。

○ 近くの畑に行くと、木の上に大きな蛙がいた。

目が3つあり、こちらを見て、話しかけて来て、握手を求めて来た。

○ ある一軒の家の中におばさんが1人座っていた。

「私は、いつも、ここにいるのよ。」と言われた。

そして、路地の反対側の庭には、おじさんがまるで銅像のように立っていて、

「猿田彦神」であることが知らされ、さっきのおばさんのご主人であることが示された。

○ 木造りの建物の中にいて、電気も付いていないような

お手洗い(厠と呼ぶにふさわしい薄暗い場所)に入って、

外側の椅子に腰掛けて空くのを待っていると、

後から美智子妃殿下が入って来られて、隣の椅子に座られた。

その後から天皇陛下が続いて入って来られて、妃殿下の隣に立っておられたので、

私は急いで立ち上がり、椅子を譲ってから外に出て、戸を閉めた。

○ 外に出ると、5人の男性がいて、天皇陛下のしぐさそっくりに真似をしている。

どの人も、よく似ていた。

○ 村の人総出で、神楽の行列が出来ていて、お祭りが始まるような雰囲気だった。

私が手拍子をはじめると、そこにいた人達皆がそれに合わせて手拍子をして、

一気に盛り上がりはじめた。

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長屋のビジョンは、古き良き時代を思い起させるような雰囲気でした。

皆が、同じような立ち場で、楽しく生活をしている様子が伝わってきました。

人が生きるという点において、

本能や生理現象は、基本的には誰しも同じであるということでしょう。

肩書や立場以前の、名前もない「人」としての存在について

意識を向けてみる必要があるということでしょうか。

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猿田彦神の夫婦神だとすれば、

道祖神として表されてきたものかもしれません。

それは神楽など、人々がお祭りなどを通じて、天のはたらきを身近に感じ取って

尊敬と同時に、親しみを持っていた時代には、そうだったのかもしれません。

特別な場所(神社)の中やパワースポットに行かなければ

神を感じることが出来ないと思えば、そのようにしか感じられず、

いつも身近に存在しておられると思えば、

そのように感じ、気付けるということなのでしょう。

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3つ目の蛙は、蛙が私にとって第三の目を司るシンボルであると書きましたが、

そこが開く(口を開く)という意味が込められているようなことでしょうか。

握手を求められて、どうしようか迷っているところで

その場面は切り替わりました。

あともう少しのところ、という感じでしょうか。

恐怖も意味があって存在しているので、タイミングがとても重要なのです。

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写真を選ぼうとしていて、蛙の写真なんて無いしな~と思っていたら、

伊勢の二見輿玉神社の写真が出て来ました。

あらら、「猿田彦神」「夫婦」「蛙」が揃いました。

蛙は猿田彦神の使いとされているんですね。

蛙は、両生類なので、彼の世と此の世の両方を行き来出来ると

されてのことらしいですけど・・・。

この神社には、2002年に初めて訪れて、

「気持ち悪いな~」と鳥肌を少し立てながら、

なるべく見ないようにしていたのを思い出します。

この写真は、2008年で2回目に訪れた時ですが、

写真に撮れるぐらいに、克服していたのを覚えています。

まだ、さすがに生きているものは、撮ったことは無いです。

後の生き物は、人が嫌っているようなものでも、

ほとんど平気なので、それだけ深い意味があるみたいです。

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